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医療業界の慢性的な課題を解決したい──福岡・糸島から始まった「thestory」の壮大なチャレンジ
HAYASHI Ryoheiドーガン・ベータの過去、現在の投資先には、医療・介護分野の企業が多く含まれており、ポートフォリオ内のカテゴリー別で見れば、最も多い分野となります。看護師のジョブマッチングアプリ「N/thestory(エヌ・ジストリー)」を運営する「株式会社thestory(ジストリー)」も、その一つ。2022年1月に福岡県糸島市で設立され、2023年3月にはエンジェル・シードラウンドで1.4億円の資金調達を果たしたスタートアップです。
共同代表を務める河さん、山本さんは、それぞれ東京から糸島へと移住。そこでの出会いがきっかけとなりthestoryを設立することになったそうです。会社設立の経緯や、糸島で起業することのリアルについて話を聞きました。インタビュアーは、ドーガン・ベータ代表取締役パートナーの林です。
株式会社thestory 共同代表
岡山県出身。慶応大学卒業後、リクルートエージェント(現リクルート)入社。人材紹介事業部にて法人営業や営業企画を歴任、医療業界のジョブマッチングに携わる。その後2013年に新しい働き方でのジョブマッチングを事業とする株式会社Warisを創業、共同代表を兼務。サービス立ち上げを含む、長年にわたる人材業界での経験を生かし、2022年に株式会社thestoryを創業。共同代表に就任。
株式会社thestory 共同代表
東京都出身。慶応大学卒業後、P&Gマーケティング、リクルートの人材領域/経営企画、SoftBank社長室に従事。その後、訪問看護ソフィアメディ社長就任。社員300名から1,200名までの成長を牽引。関連法人併せ2,000名ほどの医療職採用に携わる。医療人材領域の不の改善、重要性の増す医療職の働きがい、より良いキャリアに志を抱き、2022年に株式会社thestoryを創業。共同代表に就任。
株式会社ドーガン・ベータ 代表取締役パートナー
住友銀行・シティバンクを経て2005年よりドーガンで地域特化型ベンチャーキャピタルの立ち上げに携わり、累計5本・総額50億円超のファンドを運営。2017年にドーガンよりVC部門を分社化したドーガン・ベータ設立し代表就任。2019年より日本ベンチャーキャピタル協会 理事 地方創生部会長を務める。
共同代表2人が福岡に移住を決めたそれぞれの理由
── 山本さんはP&G、リクルート、ソフトバンクを渡り歩いた後に独立して、訪問看護事業を手掛けるソフィアメディの社長に就任しています。そして、現在はthestoryで看護師のジョブマッチングを手掛けられているわけですが、医療分野とはサラリーマン時代から接点があったのですか?
山本:いえ、その3社では直接のつながりはありませんでした。P&Gではマーケティングの最前線にいて、リクルートでは人材営業のみならず経営企画にも携わり、ホールディングス体制への移行、IPOの検討や準備、海外企業のM&A、CVCファンドの立上げなども担当しました。ソフトバンクでは代表特命の戦略プロジェクトマネージャーのようなことをやらせてもらい、仕事は充実していましたが、かなりのハードワークでしたから、家族との時間もとれなくて…。学生時代から自分で事業をやることはずっと頭の中にあったので、そろそろ登る山を決めよう、腹を決めよう、と決心したのが30代前半の頃です。
特に医療分野と接点があったわけではありませんが、マーケットを俯瞰した結果、社会的課題の大きさ、成長マーケットにある医療分野の可能性に注目。なかでも在宅医療の重要性が増していくだろう、そして、在宅医療を担う多職種のなかで鍵となるのは看護師の領域だろうという見立てのもとでの訪問看護事業、という流れです。訪問看護ステーション事業を手掛けながら、訪問診療クリニックや医療法人の経営にも携わっていました。
── 私が山本さんと福岡で初めてお会いしたのは、2021年のことだったと思います。世の中が突如としてコロナ禍となり、医療業界はその影響をもろに受けました。福岡への移住とも関係があるのでしょうか。
山本:おっしゃる通り、コロナ禍での医療現場、経営の意志決定と舵取りは壮絶でした。極限状態にあって、心身のメンテナンス、自分のエネルギーが枯渇しないように相当気を遣いました。多分、心が海や山、自然を求めていたんでしょうね。東京を離れて、自然の中に身を置かないと、きっと10年20年と自分のエネルギー、集中力は保たないだろうなと。
移住先の候補をあれこれ考えていると、糸島に行き当たりました。妻の実家が福岡だったので何度も里帰りしたことはあって、都市の勢いや空港の近さ、そして何より食事のおいしさを感じていました。福岡を拠点にできて、海や山があって、空港までのアクセスも良くて、と考えると、自然と糸島に帰結しました。
── 10年以上のチャレンジを、と考えた時にたどり着いたのが糸島だったわけですね。河さんの場合、thestoryの原点となる医療分野とのつながりは、どこからなのでしょうか?
河:私は新卒で入社したリクルートエージェントで最初の4年間、医療業界の営業担当だったんです。医療とのつながりという意味ではそこになりますが、看護師のジョブマッチングという今のビジネスの源泉は、中高生時代にまでさかのぼるのかもしれません。子どもの頃からマイノリティとされる方を支援したいという願望があって、それは今も変わっていません。
リクルートで人材紹介に奔走するなかで女性の置かれた環境に危機感を覚えて、まずは女性のキャリア支援から始めねばと立ち上げたのがWarisです。
── Warisの設立が2013年で、福岡には2016年に移住していますよね。きっかけは何だったのでしょうか?
河:Warisを立ち上げた当初から時間や場所にとらわれない働き方を社会に提唱したいという想いがあったので、私自身、リモート、フレックスベースで働いていました。なので、移住に支障はありませんでしたが、直接のきっかけは夫の起業です。私たち夫婦は2拠点生活に憧れがあったのですが2人で候補地を検討した結果が福岡。自然と都市とのバランスや物価の安さなどを総合的に考えての判断でした。最終的には夫が仲間たちと福岡・糸島で起業することが決まり、移住することになりました。
でも、私は岡山出身で、大学から東京だったので、福岡には縁もゆかりもありません。夫は仲間も一緒だったので楽しそうでしたが、私は移住直前になって“内定ブルー”みたいなメンタルになって、実は泣く泣く移住したのが始まりでした。
看護師の転職やキャリア形成への課題意識が起業のきっかけ
── 河さんの涙の福岡移住のおかげで山本さんと出会うことになり、thestoryが生まれたというわけですね(笑)。2人はどこでつながったんですか?
河:我が家の土間です(笑)。遼太郎さん(=山本さん)と私の共通の知り合いが何人かいて、その縁で遼太郎さんがうちに遊びに来ることになって、それが最初の出会いですね。
山本:そこで初対面とは思えないくらいに話が盛り上がって、やりたいことや課題意識をシェアしあって、そしたら「一緒に事業やる?」みたいな流れになって、そこからはとんとん拍子でした。
── thestoryの原型が、その場でもう出来上がっていたのですか?
山本:そうですね。お互いが感じていた課題がはまった感覚がありました。僕は医療機関を4、5年経営しながら、医師や看護師の採用に2,000名以上関わってきました。その過程で、医療分野のリクルーティングサービスが旧態依然としたものしかなくて、なんでこんなに遅れているんだろうとずっと疑問だったんです。
── 医療業界の離職率ってすごく高いですよね。昔ながらの人材紹介の仕組みしかないからマッチングがうまくいかず、その結果、何回も転職して、そのたびに紹介会社に手数料が入る。それで潤っているから、いつまでも仕組みが変わらない。
山本:その通りです。看護師のキャリアリテラシーに対する意識を、採用する側、される側、その仲介者がそれぞれ持てば、もっとみんな幸せになれるのにってずっと感じていました。
課題意識だけはありつつ鬱屈としたまま、HRサービスを自分で一から作るという発想はなかったんですけど、河ちゃんはリクルートエージェントで医療領域を担当していたし、Warisで人材マッチング事業をゼロから立ち上げているし、あ、河ちゃんとだったらできるじゃん!って。
河:私は私でLER(※)に興味をもちつつ、ビジネス領域でキャリアを可視化することの難しさを感じていました。Warisでこの先できればいいけど… みたいな話をしたら、遼太郎さんのなかで何か結び付いたみたいで「河ちゃん、医療からだったら多分できるよ。スキルをベースにしたキャリア構造で、LERしやすいよ」って急に言われて、でもまだ私はピンときてなかったんです。そしたら遼太郎さんが看護師さんを何人か紹介してくれて、自分たちのキャリア形成にどう取り組んでいるのか話を聞いてみました。そこで完全にスイッチが入りましたね。
彼女たちは仕事もして、将来のために勉強もして、それを全部自助努力でやっていました。そして、それが当たり前になっていて特別疑問も感じていなかった。今後、高齢化社会が進んで在宅医療が浸透していくなか、看護師に求められるスキルはどんどん高度化、広域化していくのに、それを看護師の努力に頼りっぱなしじゃダメでしょ日本、という危機感が一気に湧いてきて、じゃあ私たちでやろうと。それがthestoryの始まりです。
※ Learning and Employment Record(LER)。個人の大学等の教育機関の学習データや研修・職業訓練データ(業界認定資格等を含む)のほか、職務経歴や収入に関する情報を蓄積記録し、個人、教育機関、企業、政府機関の間での共有を目指したデジタルデータ標準で、学習とキャリアを一気通貫して捉える考え方。
地元投資家を中心に1億円超の資金調達を達成
── 2022年の1月にthestoryが設立されて、その夏には看護師のジョブマッチングアプリ「N/thestory」がリリースされています。事業やサービスについて、紹介いただけますか。
河:当社がめざしているのは、医療に携わる方々が自分らしくキャリアを描ける仕組みづくりです。LERの要素を取り入れたスキル・学習履歴の見える化プラットフォーム「/thestory」シリーズの開発を進めており、2022年7月にリリースした「N/thestory」は、その第一弾という位置づけになります。
このアプリは、これまで医療業界で一般的ではなかったダイレクトリクルーティングサービスを実現するもので、医療機関等から看護師に直接スカウトメッセージが送れます。また、看護師は登録レジュメに「やりたい看護」「学びたい診療領域」などの専門スキルやキャリアに関する内容を記載することができ、理想的なマッチングへとつなげています。2023年9月時点でダウンロード数は6,000件、看護師の登録数は1,400名を突破しました。
── 河さん宅の土間で意気投合してから、会社の立ち上げ、アプリのリリース、そして資金調達までのスピード感がすごいですよね。
山本:2021年の10月に河ちゃんと会って、11月に会社をつくることを決めて、翌2022年の1月に設立しました。それから合宿を重ねて、7月にベータ版のアプリをリリース、さらに半年後の2023年3月には、エンジェル・シードラウンドで1.4億円の資金調達ですから、ほんとにここまで目まぐるしいスピードでしたね。
── 地域のスタートアップとして、これほど短期間で立ち上がって、資金調達まで実現したケースというのは、私が知る限り全国的に見ても珍しいと思います。
山本:林さんや、GxPartnersの中原さんをはじめ地元の投資家の皆さんの応援があったからこそです。また、プロダクトをゼロからつくった経験のあるメンバーがいなかったので、安達さんをはじめとするSEREAL(シリアル)の皆さんにもお世話になりました。
── 覚悟を決めて立ち上がった起業家に、投資家や支援者がしっかり寄り添っているというこの構図、まさにスタートアップエコシステムですね。
山本:1.4億円の調達資金のうち1億円以上は地元の投資家さんからのものです。福岡に移住してからというもの、スタートアップや起業を盛り上げていこうという空気を、都市全体から感じています。だからこそ、せっかく移住して起業するのだから、その土地のためになりたいじゃないですか。
仮にthestoryが成功して多額のキャピタルゲインが発生しても、そのお金が東京にいってしまったら還元できません。だから、thestoryがうまくいけば地元に戻ってくるようにしたいし、ダメならダメできっと地元の人が助けてくれる。せっかくスタートアップを応援しようという気風があるんだから、その輪に飛び込んでいくことしか考えていませんでした。
── いちキャピタリストとしても感慨深いです。東京資本ではなく、地元で1億円を超えるエンジェル・シードラウンドの資金調達がなされたというのは、10年前だと信じられない話です。
山本:林さんは即決してくれましたよね。ドーガン・ベータさんは、きらり薬局さんとか、医療・介護分野の会社にいくつも投資されていて、しかもテック系の企業ばかりじゃなくてローカルの労働集約型ビジネスもあったので、医療業界のことに詳しくて、課題意識を共有できるだろうなと考えていました。ドーガン・ベータさんと一緒にやれたらいいねって河ちゃんとも話していたので、出資していただいて嬉しかったです。
── 昔から課題意識をもっていた領域でしたし、2人のことは知っていたので、この2人がチームを組んでやるならという納得感がありました。医療・福祉領域は地域課題の一つだと考え、地域から解決して全国にスケールさせるというのをイメージしやすい領域ということもあって積極的に投資しています。
起業する場所としての糸島の魅力
── シードで調達額1億円超えというのは福岡ではレアなケースです。次の事業展開へと進むための十分な資金が獲得できたと思いますが、thestoryのこれからのビジョンを教えてください。
山本:ダイレクトリクルーティングの手法を看護師から医師や薬剤師など、医療業界の他職種にも拡大して、「N/thestory」に続くジョブマッチングサービスを開発していく計画です。
まずは、人材の需給バランスが崩れているという目の前にある課題を解消するべく、ジョブマッチングサービスを先行して進めていますが、その先で、当社がめざしているのは、医療に携わる方々が自分らしくキャリアを描くことです。そのため、中長期的なキャリアログ構築を見据えた学習コンテンツの提供など、学び続けられる仕組みの構築、支援にも将来的には関わっていきます。
河:今は人材への需要が先行していますが、高齢化社会がピークを迎えるといわれている2037年以降はシュリンクの段階へと入り、看護師や医療従事者が余る状況が想定されます。その時にこそ、LERの要素を取り入れてスキルや学習履歴を見える化しておくことが本領を発揮します。医療従事者が選ばれる側になった時のためにも「N/thestory」をはじめとする「/thestory」サービスの学びの要素を拡充することが、今後必要になってくると考えています。
── 私は個人的にthestoryのアイデアが糸島で生まれ、糸島で起業できたというのもまたエポックメイキングなことだと思っていて、福岡市ではなく糸島だったことにも注目しているのですが、スタートアップの場という観点で、糸島は実際どうですか?
河:ただ自然が豊かなだけじゃなくて、コミュニティがしっかりとあるのが大きいですよね。経営者が集まってBBQ、みたいな光景が日常茶飯事になっているというか(笑)。私と遼太郎さんも知人を介してつながりましたし、経営者に限らずクリエイティブも含めて、面白い人が自然と集まってくる。東京に行かなくても勝手に来てくれるようになりました。
── 私も糸島で開催されたthestoryの合宿に参加させてもらったことがありますが、波の音を聞きながらリフレッシュできました。しかも、30分後には福岡市内に帰り着けましたし。
河:東京で同じようなことをしようと思ったら、帰るまでに2時間はかかりますからね。当社はこれからもずっとフルリモートだと思うので、四半期ごとくらいに糸島に集まって合宿して、あとはリモートというワークスタイルになるでしょうね。
── 話を聞いていると、私も糸島に住みたくなりました。
河・山本:いつでもウェルカムですよ!
インタビュアー後記:投資をさせていただく以前から、山本さん・河さんそれぞれ別のきっかけで存じ上げていたのですが、お二人の接点が糸島きっかけというお話は僕も初耳でした。しかもその初対面の場からごくごく自然なながれで、しかもものすごいスピードで事業の立ち上げからシードマネーの調達まで乗り越えてきた、というお話は福岡・糸島のキテル感じを象徴するようなエピソードで、スタートアップの成長に欠かせない人材や支援者、投資家が福岡に集まってきている、、というだけでなく、とても抽象的なのですが福岡にものすごく「いい風」が吹いている、ということを改めて実感させられるようなインタビューでした。
ソーシャルスタートアップのようなものを含めたスタートアップコミュニティのプレーヤーが糸島に集まってくる流れは、今後、より鮮明になってくる気がしています。そのコアになるのがthestoryなのではないでしょうか。
そんなthestoryさんですが、資金調達をきっかけに採用活動を積極的に行っています。この業界課題に関心のある方、ぜひともお声がけください!
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