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「ストーリー」と「数字」 ──VCから見たバリュエーション思考法
WATANABE Reito『バリュエーションがどう決まっているのか分からない。』これは実際に起業家から寄せられる相談のうち最も多いものの一つです。そして多くの場合、 “起業家にとって” 納得感のあるバリュエーションでは無かったのではというニュアンスを含みます。
私はよくシードVCを「助手席に乗せてもらう人」と説明しますが、起業家と投資家が同じクルマに乗る前にかならず通らなければいけないのがこの企業価値評価の壁です。バリュエーションを「アートとサイエンスだ」と煙に巻く向きもありますが、何故、起業家と投資家の間ではバリュエーションに対しての乖離が起こるのでしょうか。
本稿では、それを「ストーリー」と「数字」という言葉に置き換えて考えてみました。
お互いに納得のいくバリュエーションは可能なのだろうか? これは私がベンチャーファイナンスの世界に飛び込んだ10年以上前から自らに問い続けていることですが、今回は、投資検討をするたびに考えている私なりのバリュエーションへの見方を提示することで、少しでもこの乖離を小さくしていければなと考えています。「バリュエーションを上げるためにどうしたら良いのか」については収拾がつかなくなるため触れていませんが、私の考え方の大部分はアスワス・ダモダラン氏の近著(原題: Narrative and Numbers/ナラティブと数字)に影響を受けているので、興味を持たれたら是非日本語版を手にとって見てください。
主にプロブレム・ソリューション・フィットが見えてきたシード期の起業家に向けて書いておりますが、それ以前やシリーズA前後の方にも示唆があるような内容を目指しました。
ドーガン・ベータ 取締役パートナー
静岡県静岡市出身。神戸大学在学中に「金融の地産地消」を実践するドーガンにインターンとして参画し後に入社。2017年にドーガン・ベータとして独立し現職。地域にスタートアップ・エコシステムを根付かせるにはどうすべきかを考えるのがライフワーク。漫画と生クリームが好き。
はじめに。バリュエーションの計算方法とは?
バリュエーション/価値評価といっても実は使うシーンによって様々な意味が含まれるのですが、本稿ではわかりやすく株式の価値評価、つまり投資時点の株価を導くための評価ということで意味を統一します。
株価というと日々その移り変わりが公表されている上場企業のものがイメージしやすいでしょうか? 例えば、メルカリの21年6月期の決算発表日終値で株価は5,920円 / 時価総額は9,475億円です。これはGMVの1.05倍、純利益の165倍でした。(簡略化のためGMVはメルカリJP/USのみで計算。)
価値評価にはいくつかの手法がありますが、最も簡便なのがこの「●●の●倍」という考え方です。これをマルチプル法とも呼びます。
一方、ファイナンス理論をかじったことがあれば聞いたことあるかもしれませんが、DCF法という、理論的に正しいとされる評価方法も存在します。これはDiscounted Cash Flowの頭文字を取ったもので、その企業が将来生み出すキャッシュフローをいまの価値に戻す(ディスカウントして引き直し、合計する)ことで事業価値を数字にするというものです。
多くの上場企業は、IRを通じて情報を提供することで、マルチプル法やDCF法などの様々な評価方法で自社の株価を見通す投資家と対話をし、お互いに株価のすり合わせを行っています。スタートアップにおいてもこれらの計算方法は有効なのでしょうか? 誤解を恐れず言えば、答えはNoです。
何故でしょうか。
それは、多くのスタートアップにとっては未だ仮説の部分が多く、評価に必要となる前提情報が不完全だからと言えます。この情報の欠落をどう補っているのか。それが本稿の一番重要なテーマであり、「ストーリー」にはその力があるというのが今回お伝えしたいことです。
起業家の語るストーリーによってバリュエーションが変わる、というと、より現実味が無いように聞こえるかもしれません。もちろんストーリーだけで全てが決まることはなく、同じくらい数字での説明も重要です。しかし、ストーリーテリングにはそれら無機質な数字を結びつけ、より可能性を感じさせ、確からしいと思わせる力があります。
自分たちよりも売上の小さなスタートアップが、より大きなバリュエーションで資金調達を行っていることの説明になるといったら、ストーリーテリングの力に興味を持てるかもしれません。
起業家と投資家でズレる3つの認識
バリュエーションとストーリーについて触れただけでは、具体的な “株価” がどう算定されるのかについてはまだ分からないままかもしれません。ここでは、実際の手法や考え方に触れつつ、起業家とVCの間でバリュエーションに何故ズレが生じるのかについて、
- 将来への見通しの乖離
- バリュエーションの算出方法の乖離
- 現状のフェーズ認識への乖離
の3つを紹介します。
将来への見通しのズレ
この事業は、どこまで大きくなるの?
まず最初に起こるズレは、スタートアップの規模感についての見通しに対してです。
起業家は、言うまでもなく自身のスタートアップの可能性を絶対的に信じており、常にベストケースについて語ります。
投資家も『どこまで大きくなるのか?』と問いかけ、ベストケース/Plan Aの規模感を常に気にしますが、一方でPlan B、C、、のようにベースやダウンサイド、場合によってはよりアグレッシブなアップサイドシナリオといった他のケースも想定しながら起業家の話を聞いています。
これら異なるシナリオを起業家と共有するVCもいれば、独自にどのシナリオになる可能性があるのかを考えるVCもいますが、起業家の語るPlan Aだけを考えているVCは多くはないと個人的には感じています。
この「どのシナリオが現実的なのか」というのが最初に起こりやすいズレの一つであり、Plan Aを大きく持ちつつ、いかに信じてもらうのか、というのがバリュエーションにおいて最も重要であると私は考えています。
バリュエーション算出方法のズレ
必要資金は●●円で、ダイリューションは●%に抑えたい
次のズレは、バリュエーションの算出方法の違いから起こります。
起業家にとってバリュエーションを構成する重要な要素は、必要資金の額であり、許容できる外部シェアの割合とも言えます。
特にシード期においては、資本政策が見通せないなか可能な限り外部放出する株式の割合を減らしたいという考えが強く、必要な資金(X円)を一定のシェア(a%)で獲得しようとすると、必然的に
という計算式にたどり着きます。
一方、VCにとってバリュエーションにおける重要な要素は、Exitの際にどの程度のリターンが得られるのか、ということです。期待リターンについては、IRRのように利率で表現することもあれば、単純にb倍という倍率で表すこともあります。これを俗にVC法と呼びますが、倍率や期待利率の算定に明確な方法論が存在しているわけではなく、時代によって目線が変わる、一種相場観のようなものの影響を受ける方法です。
VC法の考え方から導き出されるのは、VCにとってのバリュエーションは(厳密性を無視すれば)、
= Post時価総額 x a%
= X円
と言えるでしょう。
Exit時のシェアや分配割合は今後の調達ラウンドにおける希薄化から大きく影響を受けますし、期待倍率もExitまでにかかる年数、つまりスタートアップがいまどのフェーズなのかに大きく影響を受けます。
要するに、バリュエーションの拠り所がお互い違うため、どの要素がバリュエーションの違いに現れているのかが分かりにくくなり、議論がうまく行かないというのが、2つ目のズレの原因です。また、特にVC側の評価においては相場によって評価水準が変化するという性格も持っているため、現在どのような水準で他社が評価をされているのかをより知っているVCと起業家の情報の非対称性がズレの要因にもなっています。
現状のフェーズ認識のズレ
今回のラウンドはPost-seed? それともPre-series A?
最後のズレが、VC法の説明の最後で触れた「いまどのフェーズにいるのか」ということについてです。
私がスタートアップに関わりだしたころは「シード・アーリー・ミドル(エクスパンション)・レイター」と4つの分類でしたが、今や様々な呼び方で資金調達のフェーズを表すようになりました。
Post-seedとPre-series Aをはっきりと分けて説明できる人がどれだけいるのだろうかとは思いますが、フェーズを理解する上で重要なのは、
- 成長に至る道のりは、どこまでが実証され、どこからが仮説なのか
という点であると考えています。
そして、先のVC法における重要な要素としてフェーズ認識があるということと併せて考えると、スタートアップがいま立つ場所の不確実性の割合と質が、VCの期待リターン倍率に大きく影響を与えるということであり、仮説の確からしさに対するズレが3つ目のズレとも言えるでしょう。
少し長くなりましたが、起業家とVCとの間でバリュエーションに対する違いを生み出す要因として、
- ベストシナリオが現実的であるのかというズレ
- 資本政策や、回収までの期間に対するズレ
- 仮説の確からしさに対するズレ
という3つの点に触れました。
(「モレなく、ダブリなく」とは程遠いですが、重要な論点というくらいで認識ください。)
逆に言えば、この3つを擦り合わせることによって、お互いに納得のいくバリュエーションに近づけるのではないか、というのが私の考えです。
この、シナリオや仮説の確からしさを説明する時に武器となるのが、最初に触れた「ストーリー」と「数字」の2つなのです。
資金調達の前にストーリーをどう検討するか
ここでようやく「ストーリー」の重要性に戻ってこれました。
人を納得させる上で「数字」を伴った事実が最も強い説得力を持つということは直感的にも理解できると思います。客観的に誰から見ても正しいという意味で、実証された結果としての「数字」はとても重要です。
一方、スタートアップのように、実証されていることは少なく、仮説の部分が多いというような企業にとって、事実ではない「数字」の強さを補強することはとても骨の折れる作業です。財務モデルやKPIツリーを作ったことのある人は想像できると思いますが、仮定に仮定を重ねた数字はいとも簡単に大きな絵を見せてくれる一方で、作成した自身ですらその確からしさを信用できないモノとなります。
この、小さく実証された数字や仮定、仮説を有機的につなぎとめ、アラ探しではなくワクワクしながら数字を眺められるようにする、ある種魔法のようなものが「ストーリー」であり、ストーリーテリングの持つ大きな力です。
ただ「ストーリー」は万能ではありません。
多くの投資家がストーリーに引っ張られ、ありもしないものをあると勘違いをしてきました。結果として正しいストーリーだったとしても、実現するまでに想定以上に時間を要するということもままあります。
そこで、起業家の語るストーリーに耳を傾けつつ、ダモダラン氏が言うところの3Pテスト
- Probable – 確からしい
- Plausible – もっともらしい
- Possible – 可能性がある
に当てはめて、数字がどの程度納得に足るものであるのかを考えてみます。
勘の良い方は、これが市場規模を語るときのTAM/SAM/SOMと似た概念だと気づいたと思います。市場の範囲をこのように分類して語るのと同じように、VCは起業家の話す内容の確からしさを分類しているのです。
ストーリーに確からしさ(明確な課題解決ができるSOM)があれば、少なくともIPOやM&AといったVCのExitに辿り着く可能性は高くなるでしょう。一方、そのストーリーに可能性(より大きなTAM)がなければ、大きな調達には結びつきません。
「ニッチな顧客には刺さっているので足元の成長は間違いない」確からしい気がする。「次第にネットワーク効果が効き、獲得のペースは上がります」もっともらしいが、想定する効果が発揮されるのはいつだろうか。「CSによってアップセルも順調におこり、ARPUは拡大の一途」もっともらしく聞こえるが、顧客の予算上限は考慮しているのだろうか。「インフラレイヤーを押さえるので、様々なポイントで収益化が可能です」可能性はあるが、実証までに時間はかかるかもしれない。
これが、VCの頭の中で起こっていることに他なりません。
そして、実は時間軸では一番遠くにあるTAMへの解像度の高さと、そこに至る道程の確からしさを高めることがストーリーに聞きごたえを加え、より多くの時間を、足元ではなく未来の議論に費やすよう投資家に仕向けることができると考えています。
フェーズ別、ストーリーと数字のバランス
「ストーリー」の質感を上げていくことは重要である一方、それだけでVCが納得をする訳ではありません。自身のスタートアップが立つフェーズによって「数字」とのバランスを取る必要もあります。
ここではフェーズをシンプルに考えるために、複雑なラウンドの呼び方ではなく、一旦
- シード: 会社設立からいわゆるシードと呼ばれるラウンド
- アーリー: 後半のPost-seedやPre-series Aと呼ばれるラウンド
- ミドル: いわゆるSeries AやBのラウンド
- レイター: Pre-IPOや、近年実質的にPost-IPOのような未上場最後のラウンド
の4つにざっくりと分けてみます。
創業期 → シード
事業ドメインを決め、どのような成長の可能性があるかというコンセプトを定めた創業期から、具体的なプロダクト開発へと進んでいくシード期の資金調達では、ストーリーのほぼ100%が仮定や仮説で占められています。
この場合、より重視されるのは「ストーリー」であり、数字はあくまでストーリーを補完する意味合いが強くなります。
シード → アーリー
シード期に行った初期のニッチセグメントでのPMFが完了し、よりスケーラブルな市場へと出ていくための検証が始まるアーリーステージの資金調達。シード期の実績数値を元に、ユニットエコノミクスの検証や営業ファネルの効率化、再現性の確立といったことを行っていくという意味で、より「数字」での根拠が重要となってきます。
仮説の割合は依然90%ほどありますが、実証された10%の濃さが特に重視される印象です。
アーリー → ミドル
拡大可能性を検証し終え、より一般顧客へと展開していくミドル期に進むこのラウンドを一般的にはSeries Aと呼ぶことが多いかと思います。どこに投資をすれば伸びるのかという「数字」が大切であるとともに、再度、IPOに向けて「ストーリー」に依拠した(TAMの概念に近い)大きな絵が求められるのも、実はSeries Aの難しさです。
シード、アーリーを経て実証の割合が50%近くまで来ていると思った矢先に、更に大きな絵を描くことで仮説の割合がまた高まるため、ストーリーテリングの力も必要となり、CEOが調達の前線に立つ必要があります。
ミドル期では、市場でのシェアを高め、IPO後のエクイティストーリーにつながるような仕込みを行っていくために、Seires B、C、、と調達を重ねることも増えてきました。
ミドル → レイター
レイターでは、いよいよ目前に控えたIPOに向けて、より明確に事業セグメントの多角化が実現できていることが求められてきます。その意味で「数字」に現れていることはより重要になってきますが、一方でPost-IPOを意識すれば、初値以降のアンダーパフォーマンスを避けるためにエクイティストーリーが重視される向きもあり、投資家だけではなく証券会社や機関投資家とのコミュニケーションが増えてくるフェーズです。
結果として、「ストーリー」を強く持てる企業が未上場時に機関投資家から直接調達を行うケースも増えてきました。ある意味で「数字」と「ストーリー」がIPOのメカニズムに飲み込まれないために重要となってきているのがレイターステージとも言えるかもしれません。そして、過去のストーリーの伏線を回収する、非常に重要なステージでもあります。
まとめ。アイディアだけでなく、ストーリーを話そう!
今回、ベンチャーキャピタリストとして私が考えてきたバリュエーションの思考法を言語化してみました。
「アイディアに価値はない」とも言われますが、「行動に移されない」アイディアに価値がつかないことには同意しつつ、少しでも動くことで仮説検証も前に進め、アイディアを磨くことで強固なストーリーを築くことができれば、そこには大きな価値が見出されるというのがお伝えしたいことです。
「ストーリー」をバリュエーションにどう落とし込んでいくのかという構造化や、起業家と投資家のリスク・エクスポージャーの違いなど考慮の足りない部分も多々ありますが、VC側の視点として参考になれば幸いです。
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